田舎の本屋。
2002年10月31日 今日はたくさん本屋に行きました。たくさんといっても、4件なんですけど、どこにもないんです、あれが。
ニーチェの「道徳の系譜」ですよ。なんかニーチェ関係の入門の本や、他の著書はあるんですけど、「道徳の系譜」だけないんです。
で、家に帰ってインターネットで注文しました。いっしょに「若き人々への言葉」も注文しました。これは短編集で、比較的分かりやすいという解説があったからです。
そもそも哲学なんか全く興味なかったんですよ。むしろ哲学なんて必要無いと。色々考えたって、自分は自分だし、そう思うものはそう思うのだから、色々考えたって仕方がない、と思ってたんです。
ところが日本史に興味を持って、色々と本を読む中で、日本人の民俗学的なものに興味を持ってしまったんです。「穢れ」とはなにかとか、「世間」とはとか。
そして、そういうものを知識として知っておくと、すごく客観的に自分自身を見つめられることに気がついてしまったのです。そして、自分の思考を客観的に見つめられるからこそ生まれる、選択肢というものに気がついてしまったのです。
なので、もっと「なんで自分はそういうふうに思うのか、なぜそれが当たり前に感じるのか」などを、客観的に知りたくなったんです。
学生生活も残すところあと5ヶ月になりまして、本当は資格の勉強や英語の勉強をしたほうがいいのかも分からないのですが、そのような手持ちの武器を増やすばかりではなく、自分の根っ子になる部分を太くしておくための勉強は今のうちだけかなと思い、けっこう頑張っています。
ニーチェの「道徳の系譜」ですよ。なんかニーチェ関係の入門の本や、他の著書はあるんですけど、「道徳の系譜」だけないんです。
で、家に帰ってインターネットで注文しました。いっしょに「若き人々への言葉」も注文しました。これは短編集で、比較的分かりやすいという解説があったからです。
そもそも哲学なんか全く興味なかったんですよ。むしろ哲学なんて必要無いと。色々考えたって、自分は自分だし、そう思うものはそう思うのだから、色々考えたって仕方がない、と思ってたんです。
ところが日本史に興味を持って、色々と本を読む中で、日本人の民俗学的なものに興味を持ってしまったんです。「穢れ」とはなにかとか、「世間」とはとか。
そして、そういうものを知識として知っておくと、すごく客観的に自分自身を見つめられることに気がついてしまったのです。そして、自分の思考を客観的に見つめられるからこそ生まれる、選択肢というものに気がついてしまったのです。
なので、もっと「なんで自分はそういうふうに思うのか、なぜそれが当たり前に感じるのか」などを、客観的に知りたくなったんです。
学生生活も残すところあと5ヶ月になりまして、本当は資格の勉強や英語の勉強をしたほうがいいのかも分からないのですが、そのような手持ちの武器を増やすばかりではなく、自分の根っ子になる部分を太くしておくための勉強は今のうちだけかなと思い、けっこう頑張っています。
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